1972年11月5日の来豪当時のことは鮮明に覚えているという出倉秀男さん。当時シドニーに唯一あった日本食レストランは、中国人の方が営んでいたものだと言います。
ハイライト
- オーストラリアにおいて日本食文化の土台は出来上がっている
- 和食に対する高い意識を持つ者が、本物志向に動き出す
- 全世代のシェフがひとつとなり、次の時代へと進んでほしい
「この国だからこそできる日本料理を作りたい」
しかし、現在のように日本の食材が簡単に手に入るような時代ではなく、出倉さんの挑戦は食材の開発や輸入会社の問い合わせから始まりました。
すべて手探りで、一から開拓していった出倉さんは、いわゆる「第1世代シェフ」のひとり。
レストランのプロデュースにはじまり、ケータリング事業、数々の著書の出版、そして現在では料理クラスを営む傍ら、和食イベントの理事としても活動されるなど、多岐の分野で日本食文化の普及に長年携わってこられました。

Hideo Dekura (far back, 2nd from the left) is a trustee of an event "First Chef's Chat in Australia" organized by Washoku Lovers Source: Washoku Lovers
「時代は進化と退化の過程が隣り合っているようなもの」と語る出倉さん。
「日本人の料理人としての意識が薄れていくという意味では退化」、しかし「高度な技術と確執ばかりを追っていは、いずれ波に飲まれ消えてしまう(海外での)食文化もある」と考えられています。
多国籍の食文化が共存するオーストラリア。それは民族のアイデンティティでもあり、ビジネスだけに絞ってしまうと「中途半端なフュージョン料理も生まれてしまう」、「精神性にまでおよぶ高い和食意識を持つ者が、本物志向に動き出す」と見ているそうです。
総合的に見たオーストラリアの社会で、「日本食文化はかなりしっかりした土台が出来上がっている」と言う出倉さん。料理クラスでは参加者それぞれの食文化を尊重しながら、料理に限らず、日本の文化について総合的に話すことを心掛けています。
先日第1回目が開催されたWshoku Lovers主催の『食べて見て座談会』で理事を務める出倉さんは、第1代、第2代、そして第3代のシェフが集まって日本食文化について語り合い、意見を交換し、学ぶ場にしたいと強く願っています。

Inaugural First Chef's Chat in Australia Source: Washoku Lovers
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